プロに頼る大切さを知った
当時は賃貸のアパート暮らし。たっくんが癇癪を起こして一晩中泣き続けたり、排泄物を触って塗りつける「排泄遊び」で部屋を汚してしまうこともあった。
「いつか追い出されるんじゃないかと、ハラハラしていました。一日も早くマイホームを持とうと、夫は休みなく働いていて、夫婦でとにかく目の前のことに必死でした」
たっくんは兄と同じ幼稚園に入園したものの、その園は自閉症のある子どもへの対応に、十分に慣れている環境とはいえなかった。
「ある日、様子を見に行ったら、たっくんが先生におんぶされて、されるがままの状態だったんです。別の日も同じようなことがあって、ほかの子と遊ぶ様子もなくて……。あれ?と思いました」
そこで保育園へ転園。そこには、児童発達支援センターから保育士が派遣される「加配」の制度があり、子どもの発達状態を日常的に見てもらえる環境が整っていた。
「しばらくして、その保育士さんが所属する児童発達支援センターに空きが出たと声をかけてもらい、思い切って移ることにしました」
幼稚園や保育園に通わせたのは、障害のない子どもたちと触れ合うことが刺激になり、発達にもよいのではと考えてのことだったが、それは大きな間違いだった。
「やっぱり先生が違うんですよね。発達障害のある子どもの“プロ”だなって。一人ひとりのペースに合わせて対応してくれて、たっくんもオムツが取れたり、食べられるものが増えたりしました。
懇談の時間もたっぷり取ってくれて、いろいろ相談できたことで、少し肩の荷が下りました。だから小学校も、支援学校一択でした。専門家に勝る者はいないなって」
たっくんは自閉症の診断を受けたとき、「言葉はしゃべらないだろう」と告げられていた。しかし、小学校4年生になった9歳のとき、授業参観で教室を訪れたあいさんに、たっくんが「ママ、ママ~」と手を振ってくれたのだ。
「めちゃくちゃ感動して、すぐに夫に連絡しました」
その後、わりとすぐに「パパ」という言葉も出るようになったという。
「ひたすら話しかけても返事はなく、『私には関心がないんだろうな』と、むなしさを感じていました。でも、時間はかかるけれど、ちゃんと届くんだって思えたんです。実はそれまで、できないわが子を見るのがつらくて、授業参観が苦手でした。でも、その日の授業参観は、とても思い出深いものになりました」

















