「下世話な人生相談」と一緒くたにされて─

中学生のころ。祖父は政治家、父は大学教授と裕福な家庭で、6人きょうだいの末っ子として育つが、高圧的な父親と無関心な母親からは愛情を受けられず、孤独と葛藤の中にいた
中学生のころ。祖父は政治家、父は大学教授と裕福な家庭で、6人きょうだいの末っ子として育つが、高圧的な父親と無関心な母親からは愛情を受けられず、孤独と葛藤の中にいた
【写真】『燃える思想』など、数多くの著書を上梓した30代の加藤諦三さん

 ハーバード大学では、専門である心理学に加え、精神分析の研究に没頭した。マサチューセッツ州のコンコード刑務所では、凶悪犯の受刑者を対象に面接調査も実施。「調査中に万が一射殺されても責任を問わない」とする書面にも署名を求められたという。

「受刑者らに、あなたが最も恐れているものは何かと尋ねました。意外にも“貧困”と答えた人はごくわずか。一方でおよそ6割もの人が、“意味のない人生”だと答えたんです」

 罪を犯し、自由を奪われた極限の状況において、人間が心の奥底で求めるものは何か─。それを探るための調査だった。

「2年間の留学を終えて帰国すると、学生らの変わりように驚きました。渡米前は学生運動がピークで、加藤諦三粉砕!とゲバ棒を掲げる学生であふれていた。それがわずか2年で、謝恩会の話なんかしているんですから」

 ちょうどそのころ、日本のラジオ草創期を代表するラジオパーソナリティーで、『テレフォン人生相談』に初期から出演していた山谷親平さんから、番組への出演を打診される。山谷さんは、「研究のためとはいえ、アメリカの刑務所で凶悪犯と対峙するなんて誰にでもできることじゃない。心理学的な観点から的確にアドバイスできる、あなたのような人にぜひ、パーソナリティーを務めてほしい」と、加藤さんの出演を強く望んだという。

「人生相談の回答者やパーソナリティーは、ただの有名人では務まらない─。山谷さんはそう繰り返し話していらして、迷うことなく引き受けました」

 番組開始当初からの方針は、その日のうちに相談者の悩みを解決すること。電話をかけてきた人すべてに対応するため、驚くことに放送に乗らない相談についてもカウンセラーや専門家が必ず応じている。

「'80年代ごろまでは、他局にも人生相談の番組はいくつかありました。人気タレントや歌手が下世話な相談に面白おかしく答えるようなものも多かったですね。そうなると、聴いている側も次第にうんざりしてしまう。私たちが行っているのは精神医学の視点を取り入れた人生相談であって、そうしたものとはまったく違うんです」

 奇をてらった一部の番組のせいで、偏見を持たれることもあった。地方の大学から講演依頼を受ける機会も多かったが、加藤さんが人生相談のパーソナリティーを務めていると知ると、「あなたのような方は本学の講演にはふさわしくないので、今回の話はなかったことに」と、後から断ってくるケースもあった。

「自分から断っておきながら、実は『テレフォン人生相談』がまじめな番組だとわかると、手のひらを返したように謝ってくるんです。

 やっぱりもう一度お願いしたい、なんて平気で言ってくるものだから腹が立ってね(笑)、もちろん引き受けませんでしたよ」