残したいレシピ本の制作
車椅子での生活になってもお店に出るようにしていたが、ある日、オーブンの天板を持ち上げられなくなる。2023年8月、「お店のシェフとして最後の日なのだ」と、まさこさんは静かに理解した。
それでも、「家族の料理だけは」と台所に立っていたが、包丁を握ったり鍋を持ち上げるのが難しくなっていき、3か月後の11月、訪問ヘルパーさんに料理をお願いすることを決めた。そしてヘルパーさんに自分の味を伝えるため、レシピを書くことを始める。
当初はスマホに指で打ち込んでいたが、次第に指を動かすのが難しくなり、音声入力に。喉や呼吸する筋肉が衰えてくると、声が小さいせいでなかなか認識されない。悔しさのあまり、スマホを投げ出し、それを拾えずさらに情けない思いをしてしまうことも多々あった。
それでも続けたのは、「この料理を家族に食べさせてあげたい」という思い。そして、タカラくんやリンちゃんが将来、このレシピを見ながら料理をしてくれるかもしれない、“母の味”を再現してくれるかもしれないという、未来への夢。
2024年10月、タカラくんの運動会を見に行ったまさこさん。頑張る息子の姿に胸を熱くしながら、“子どもたちに何を残せるんだろう”と考える中でたどり着いた結論が、レシピ本を残すこと。自分の味、美味しいという記憶を形にできたら……。
「そう思った瞬間にエネルギーが湧いてきたんです」
みちこさんはこの話を聞いたときのことをこう振り返る。
「いつも突拍子もないことを言い出すので(笑)、面白そうなことを思いついたね!という気持ちでした。また、自分も便乗できるというワクワク感もありましたね」(みちこさん)
本を作るにはどうすればいいのか。まさこさんは、喫茶店開業時からの常連・伊藤敬生さん(九州産業大学芸術学部教授)や田中さんに相談する。そして伊藤さんがプロジェクトの立ち上げ人となり、田中さんが企画構成を担うことに。
「病気がわかってしばらくたち、気持ちが沈んでいるのではないかと心配していた矢先に、声をかけてくれました。いつものまさこさんらしいバイタリティーが戻ってきたことが、本当にうれしかったです。なんとしても夢をかなえてほしいと思う一方で、どうやって出版社に売り込むかという現実的な課題に頭を悩ませる日々でもありました」(田中さん)
エッセイは口述筆記。レシピは、まさこさんがスマホにメモしていたものを友人たちに調理してもらい、調味料の分量を細かく調整。多いときには10回もやりとりを繰り返したという。こうして、見るだけでお腹がすいてくる美味しそうな写真とともにレシピが完成した。調理と撮影は、「Sounds Food Sounds G ood」にて。
「ママ友たちが16人も協力してくれて、笑顔がいっぱいの現場でした。お店をつくるとき、みんなが集まってワイワイできる、アットホームで気軽な場所にしたかったので、それが実現してすごくうれしかったです」
制作中、大事にしていたことを田中さんに伺うと、
「まず何より、この夢をかなえて、まさこさんに喜んでいただき、それが日々を支える力になればという思いがありました。同時に、決して無理をさせてはいけないとも考えていましたね。長時間のインタビューは難しいので、4〜5回に分けるなど、体調に配慮しながら進めました」(田中さん)
また、みちこさんも「目標に向かってまっすぐ突き進んでいく姿は、まったく変わっていないな」と感じたという。
「どんな状況でも諦めずに前を向き、自分らしく生きる姿に、周りの人たちは心動かされたと思います。神様は乗り越えられない試練は与えないというけれど、本当なんだなと感じています」(みちこさん)
2026年3月21日、書店の棚に並んだ『もしもキッチンに立てたなら』。夢がかなったまさこさんだが、
「出版が決まっても、完成本が届いても、実際に発売されても、いまだに実感が湧かないんです。子どもたちも、当たり前のように“あ〜本できたね〜”くらいの反応で(笑)」
と苦笑するが、とっておきの素敵な話を教えてくれた。現在、中学生で難しい年頃のタカラくんに、ちょっと変化が起こったというのだ。
「以前は隣に座るのも嫌がっていて、同じ部屋にあまりいなかったんですけど、ちょこんと隣に座るようになったんです。だんだん会話も増えて、すごくいい関係に戻りつつあるなあって。本がきっかけで、ちょっと反抗が和らぎました(笑)」
「うれしいよね」と言うみちこさんに、「うん」と笑顔で答えるまさこさん。タカラくんは、お母さんの思いをしっかり受け取ったのだろう。


















