強い美意識と反骨心は、当時の著名人たちからも一目置かれた。
「美輪さんが歌っていた『銀巴里』には、江戸川乱歩さんをはじめ、岡本太郎さん、遠藤周作さん、寺山修司さんなど昭和の文学や芸術を牽引した文化人たちが足を運んでいました。美輪さんは、彼らにとって単なる歌手ではなく、時代の空気を体現する“ミューズ”のような存在だったようです」
中でも、小説『金閣寺』などで知られる文豪・三島由紀夫さんとの交流は広く知られている。
「三島さんは、美輪さんの美貌を“天上界の美”と絶賛していたといいます。江戸川乱歩さんの原作小説を三島さんが戯曲化し、美輪さんが主演を務めた『黒蜥蜴』は、その妖艶な美しさと鬼気迫る芝居によって、美輪さんの代表作のひとつになっています。1970年11月に三島さんが自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺する1週間ほど前、美輪さんのもとを訪れて、300本のバラの花束を贈ったという逸話もよく知られています」(芸能プロ関係者)
1世紀に1人出るか出ないかの方
多くの人を惹きつけた美輪さん。デヴィ夫人も、その魅力と人柄に心を奪われたひとりだ。
「『銀巴里』で歌っていらしたころから、美輪さんの大ファンでした。日本人離れした美しさと気品は“1世紀に1人出るか出ないかの方”でしょうね」
デヴィ夫人は、インドネシアのスカルノ大統領に見初められ、大統領夫人となった。しかし、1965年のクーデターを機にスカルノ政権は崩壊。日本に帰国すると、華やかな大統領夫人から一転、その言動や半生が多くのメディアで取り沙汰される存在となった。
「バッシングで四面楚歌のような状況だったとき、美輪さんがお食事に招いてくださったんです。私の話を聞いていただき、そっと寄り添ってくださって、とても救われました」(デヴィ夫人、以下同)
以降も、2人は交流を深め、たびたび食事を共にし、テレビ番組で共演することもあった。


















