神奈川県の新江ノ島水族館、東京・池袋にあるサンシャイン水族館、北海道の北の大地の水族館……など、勢いがなくなった水族館を次々と甦らせてきた、水族館プロデューサー・中村元さん(70)。
竹島水族館を48万人までV字回復
6月中旬、彼は愛知県蒲郡市にある竹島水族館にいた。ここも一時、入館者数が年間12万人まで落ち込み、閉館も噂されていたが、2024年10月に新館をリニューアルオープンし、48万人までV字回復させた。同水族館館長の小林龍二さん(45)が、
「これは中村さんのおかげです。中村さんがいなければ、今ごろ閉館しています」
と言うと、傍らで聞いていた中村さんがくすぐったげな表情をしてこう語る。
「いやいや、僕はこの水族館のプロデュースはやってないよ。館長とは20年来の付き合いで、愛弟子みたいなものなので、ときどきアドバイスしているだけでね。この水族館、あまりにもしょぼいからかわいそうやん(笑)。この水槽だけはお金をもらってアドバイザーをしたけどね」
視線の先には、「深海大水塊水槽」があった。奥行き7・5メートル、高さ3メートル。その名のとおり、水深200メートル以深の深海に生息する生物を展示する。世界最大のカニともいわれる脚の長いタカアシガニが15匹、体長1メートル以上ある魚、オオクチイシナギなど、珍しい生物たちが水槽の中で生きている。
深海を思わせる少し暗めの照明と、サーチライトが動き、生物だけでなく、沈められているクジラの骨のレプリカをなめるように照らしていく。水槽を眺めているだけで、ゆったりした気分になる。
奥に進むと、下から水槽を覗けて、頭上にタカアシガニのお腹が見える仕掛けも。
「水族館で働く人間は、魚が好きで、生物を大切に飼うことだけを考えがちなんですが、同時にいかに楽しく見せるかも大事だと、中村さんから教えられました。それがこの仕掛けにつながっています」(小林さん)
ほかにも、中村さんの助言を受け、タカアシガニにさわれるコーナーをつくったり、飼育員が直筆で書いたわかりやすい解説を掲示するなど、さまざまな工夫が施されている。
極めつきが、魚の食べ方の説明書き。小林さんが語る。
「中村さんから、魚ばかり見ていてはダメだと。お客さんのことを知らなければと言われて、来館者をよく見たんです。すると『これ、食べられるのかな』とか『どうやって食べる?』と話していたんです」
中村さんは、小林さんがいだいていた水族館のイメージをことごとく打ち破っていったという。
2人の出会い
2人の出会いは25年ほど前にさかのぼる。中村さんは当時、三重県にある鳥羽水族館の職員で、自著を出版するなど業界でも目立つ存在だった。独特のキャラクターもあってファンが多く、中村さんが主催する交流イベントが定期的に催されていたという。
その参加者の中に当時大学生だった小林さんがいた。レジェンド飼育員がいる鳥羽水族館に就職したくて、何か糸口をつかめたらと、参加したのだ。何回目かのイベントで中村さんから言われたことが衝撃的だったという。
「『昔から魚が好きで、魚に囲まれて仕事がしたいので水族館に入りたい』と言うと、『それは違うぞ!』と言われたんです。魚が好きなんだったら家で飼えばいいと」(小林さん)
“水族館で飼われている魚たちはかわいそうだ”という発言にもハッとさせられた。
「海に潜ったら、魚はみんな自由に泳いでいる。でも水族館の魚ときたら狭い水槽に閉じ込められてかわいそうや。牢屋に閉じ込められているみたいやろ。そう思わない? この魚たちに俺たちができることは、たくさんのお客さんに見てもらって、好きになってもらうこと。
生息環境を再現して、野生の日常を見せることで、輝く命をしっかりと伝える。それによって“魚たちが生息している海を汚したらあかん”という考えを持つ人を1人でも多く増やすこと。そうなってくれたら、魚たちの仲間が救われる。水族館に携わる者ができるのはそういうことや」
すべて理にかなっていて、反論できなかった。中村さんが口にする「水族館論」が新鮮で、もっと教えてほしい一心で頭を下げたという。
「僕を弟子にしてください」
そうして小林さんは中村さんの弟子第1号になった。
小林さんが卒業する年、鳥羽水族館は採用募集がなく、やむなく地元の竹島水族館に就職したが、困ったことがあると、まず師匠に相談するという。
館内を案内してくれていた中村さんが、思い出したように切り出す。
「深海大水塊のサーチライト、見に行こう。実は“何それ?”というような方法で動かしているから。驚くよ!」
サーチライトが設置された水槽の上部に行ってみると、なんと首振り扇風機にライトがくくりつけられていたのだ。
「おー、すごいこと考えたなと。貧乏くさいかもしれんけど、発明やと思ったね」
深海大水塊の完成目前で、中村さんが最終チェックに訪れ、光の加減をさらに良くするための大がかりな調整が入り、クオリティーが底上げされたという。
金がなければ知恵を絞る。常識にとらわれず、発想を自由にすれば、おのずと別の道が見えてくる。
“裏道を見つける”。これこそ、日本で初めて“水族館プロデューサー”を名乗った中村さんの真骨頂だ。
中村さんはこう振り返る。
「“ブルー・オーシャン”をずっと探してきたと思う」
競争が激化した“レッド・オーシャン”で勝負を挑むのではなく、まだ誰も目をつけていないブルー・オーシャンで勝負をかけてきたのだ。
























