幸せな牛の美味しい牛乳を日本中に

『なかほら牧場』で働く15人の“若い連中”の1人、牧原亨さん(39)は、地元出身で入社5年目の中洞さんの右腕ともいえる人物。ここ岩手での中洞評を、こんなふうに振り返っている。

「あまり歓迎はされていなかったですね。酪農界では異端児だったし、農協とやり合っていたし。従来の酪農をしていた人には、自分たちのしていることを否定されているととらえていた人も少なくなかった」

 そしてそうした人たちの意見を、こんなふうに代弁する。

「やりたくて牛を繋ぎで飼っているんじゃないんです。行政が一定の濃度以上の牛乳以外受けつけないんじゃ、酪農家は苦渋するしかない。野草で飼うと乳脂肪分が下がってしまいますから。牛への愛情がないわけじゃない。乳脂肪率厳守という枠組みが問題なんです

 そんな中でも、最近では放牧での牛乳生産を志す人が増えてきていると牧原さん。

 鉄道会社から昨年5月に夫婦して転職、製造部(牛乳のボトル詰め・発送など)に勤務している神谷美紀さん(24)も、そうした1人。夫の昇孝さんは研修生として、山地酪農を学んでいる真っ最中だ。

「夫は牛が大好きで、酪農家になりたいけれど“牛舎飼いは牛らしくなくて嫌だ”と。中洞さんの本で山地酪農を知り“この飼い方なら牛も幸せ。これだったらやりたい”と、2人でここにやって来ました」

 昇孝さんの研修が終わったら岐阜に戻り、山地酪農を始めたいと力強く語る。中洞さんの言う、“山地酪農を志す若い連中”という芽が、確実に芽吹き始めているのだ。

(写真左)神谷さんは親の反対を押し切り、夫婦2人して、なかほら牧場に。夫・昇孝さんの誕生日に中洞さんの著書『幸せな牛からおいしい牛乳』をプレゼントしたことがきっかけだった/(写真右)「中洞がいなくても牧場が回るようにするのが自分の仕事」と牧原さん 撮影/吉岡竜紀
(写真左)神谷さんは親の反対を押し切り、夫婦2人して、なかほら牧場に。夫・昇孝さんの誕生日に中洞さんの著書『幸せな牛からおいしい牛乳』をプレゼントしたことがきっかけだった/(写真右)「中洞がいなくても牧場が回るようにするのが自分の仕事」と牧原さん 撮影/吉岡竜紀
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 前出・牧原さんは、中洞さんをこんなふうに言っている。

「基本的には自分が放牧している牛と一緒。うちの牧場で自由に生きている牛みたいな人なんですよ(笑)」

 この自由奔放な雄牛の、牧夫ならぬ牧婦ともいえるのが、妻のえく子さん(64)。

 結婚は1985年だった。

「“山の中でご飯を作ってくれる人を探している”という話があって。“なにもできないけど、ご飯作りだけはできるかなあ”と、会う(見合いをする)ことにしたんです」

 すでに7000万円の借金持ちだった中洞さんは、見合いの席に、なんとジャージ姿でやって来た。

「中学校の横に線が入ったようなジャージと、ボロボロのTシャツ姿で。履歴書は大学ノートをちぎったすみにパパパッと。娘からは、“私だったら(お嫁には)絶対に来なかったわよ”って(笑)」

結婚前、「酪農家になんか嫁いだら、糞だらけになるから白い服なんか着れない」と言われたとえく子さん。今、着ているような白い服を着られるようになったのは、つい最近のことと笑う 撮影/吉岡竜紀
結婚前、「酪農家になんか嫁いだら、糞だらけになるから白い服なんか着れない」と言われたとえく子さん。今、着ているような白い服を着られるようになったのは、つい最近のことと笑う 撮影/吉岡竜紀

 元デパートガールで、嫁いだときには牛に触れることもできなかった。そんなえく子さんが、今しみじみと言う。

「私はこの人(中洞さん)がどうなっていくか見たいのね。山地酪農を広げるという夢を、“ホントにこの人、やり遂げるかな?”と。その好奇心があったからこそ、ここまでこれたんじゃないかなあ」

 信じることに脇目もふらず突き進む夫と、それを陰になり日向になり、サポートする妻。

 幸せな牛には、いい牧夫がいた。そして、この幸せな雄牛にもまた、いい牧婦(?)がいたのである。

取材・文/千羽ひとみ

せんばひとみ ライター。神奈川県出身。企業広告のコピーライティング出身で、ドキュメントから料理関係、実用まで幅広い分野を手がける。『人間ドキュメント』取材のたび、「市井の人物ほど実は非凡」であると実感。その存在感に毎回、圧倒されている。