死ねなかった受刑者
償いは十字架を背負い

 前出の加藤牧師の教誨の場にも罪の大きさや将来のことなどを悩む受刑者が訪れる。

「ですが悔い改め、神を信じたからといって、被害者家族から許されることはないでしょう。殺人を犯した人で自分の罪に耐えられず何度も死のうと思ったけど死にきれない、と明かした人がいました」

 そんな彼に対し、加藤牧師が伝えたことは、

「過去は変えられない。罪を犯した人は自分がやってきたことに立ち返って、自分を変えないといけない、と。自殺したらそれは罪から逃げることになり、償いにはならない。ずっと十字架を背負って生きなければならないんです。生きる、ということは神がその人が罪を背負って生きる歩みを支え、赦(ゆる)し、救いに導いてくださっているのです」

 犯罪者なのに救われるのは納得がいかない、という声もあるというが……。

宗教で救われたら楽になるわけじゃない。信仰が深まれば深まるほど罪を自覚していくので、受刑者は教誨師と向き合っても救われるわけではない。自分の罪と向き合い、悩み、考え続けることが贖罪なんです」(石塚教授)

 自分が万能でないと知り、弱い存在であることを認め、罪と向き合い悩む中で、神や仏と出会う手助けをする存在なのだ。前出の加藤牧師は、

「再犯を防ぐためには『絶対的な存在』は不可欠です。もし、罪を犯しそうになったとき、神は止めてくれる存在でもあることを伝えています。苦しいときや誘惑に晒されそうになるとき“助けてくださいと祈りなさい”と。絶対者と向き合うことで自分を見つめなおすことができます」

 だが、受刑者の中には罪と向き合うどころか“これだけの期間入れば出られる”と日数を過ごしたり、反省すらしていない人もいるという。

 最近は窃盗と薬物で服役する女性の受刑者も目立つ。性犯罪を繰り返す男性も多く、依存的になる犯罪が増えている傾向もみられる。

「依存的な場合、悔い改めても出所後にまた繰り返してしまうこともある」(加藤牧師)

 当然、改心して社会復帰した人もいる。だが、教誨をしていて「更生は難しそう」と察する人も……。