ある死刑囚の邂逅
受刑者の孤独と孤立

 前述の石塚教授は数年前に死刑が執行されたある男性死刑囚との邂逅(かいこう)を明かした。

 かつて面会していた死刑囚がいた。19歳のときの強盗殺人で無期懲役。18年近く服役して仮釈放。数年後に今度は殺人で死刑の判決を受けて死刑囚になった。

 その死刑囚が教誨師と出会ったのは最期のときだった。

「最期に浄土真宗の僧侶との会話を希望したそうです。自らの話をし、僧侶から仏の話を聞き、沈黙になった」

 誰も何も言わない。すると死刑囚は“さあ行きましょう”と言った。刑務官が彼を連行し、刑が執行された。

 安らかな顔をしていたが、首には執行を示唆する、真っ赤なアザ。亡骸は葬儀後、拘置所の外に運ばれていった。

「彼は罪に苛まれ、死を望んでいました。つらかったと思うんです。もし、もっと若いころ、少年院に入ったとき教誨師と出会い、宗教的な種をまかれていたら違っていたかもしれない、と思ったんです」

 石塚教授はじめ、加藤牧師、A住職が共通して訴えることは受刑者たちの『孤独』と『孤立』だ。A住職は、

「罪を犯した途端、すごい孤独に襲われるそうです」

 誰しも『孤独』は心に持っているが、罪を犯せば、家族や友人たちからも見捨てられ、仕事も居場所も失い、孤立に変わる。さらに刑務所独自のルールも拍車をかける。

「自由に話せない、動けない、言われたことをやっていればいい。そういう習慣を身につけた人は出所すると誰かとコミュニケーションをとるのが下手になるんですよね。自分で考え、人と合わせなきゃいけないのが苦痛だそうです」(石塚教授、以下同)