第21回日本歌謡大賞にノミネートされた八代亜紀('80年撮影)写真/週刊女性写真班
第21回日本歌謡大賞にノミネートされた八代亜紀('80年撮影)写真/週刊女性写真班
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まるで選挙な賞レース

 音楽賞が一番盛り上がったのは1980年。五木ひろしの『ふたりの夜明け』と八代亜紀(71)の『雨の慕情』が両賞を激しく争った。2人とも本心を隠さず、「(賞を)獲りたい」と宣言し火花を散らせたことから、「五・八戦争」と呼ばれた。

「2人とも審査員の票読みまでしていたようです。『あの人は自分を推してくれる』とか。まるで選挙です(笑)」(同・元スポーツ紙文化部記者)

 その後も1980年代は賞レースが過熱し続ける。

「私たちレコード会社の人間は審査員を銀座やゴルフに連れて行きました。もちろん、費用はこちら持ち。でも、それによって音楽賞がファンたちから離れてしまった気がします。ファンとは無縁の話でしたから」(同・元レコード会社幹部)

 1990年代に入ると、両賞とも視聴率が10%台前半にまで落ちてしまう。レコ大は改革に次ぐ改革で復権を図るが、そもそも視聴率目的で生まれた歌謡大賞は継続の意欲を失い、姿を消す。

「そもそも音楽賞が難しい時代に入っていたんです。孫からおじいちゃんまで一緒に聴ける曲がなくなっていた」(同・元レコード会社幹部)

 音楽賞は世代を超えて楽しむもの。だから沢田研二やピンク・レディーのような存在がいないと、高視聴率達成は難しい。

 現在の音楽番組が軒並み低視聴率にあえぐのも、理由は同じだろう。

高堀冬彦(放送コラムニスト、ジャーナリスト)
1964年、茨城県生まれ。スポーツニッポン新聞社文化部記者(放送担当)、「サンデー毎日」(毎日新聞出版社)編集次長などを経て2019年に独立