料理人人生が大きく動いた恩人・金谷鮮治氏

 坂井さんと金谷鮮治氏との縁は『元狩』のお客様からの紹介から始まった。懐石料理をイメージした新しいフレンチの店『西洋膳所ジョン・カナヤ麻布』を金谷氏がオープンする際、シェフに指名されたのだ。ジョン金谷こと金谷鮮治氏は、日光東照宮の楽師・金谷善一郎が1873年に開業した現存する日本最古のリゾートクラシックホテル『金谷ホテル』の創業者の孫にあたる粋人。坂井さんは金谷氏を“親父”と呼んでいた。

「初めて親父に会ったときの僕は29歳。親父は前例にとらわれない若いシェフを探していたんだけど、当時の僕には無理だと思って断った。それでも“2番手でいいから来てくれ”ということで働き始めたところ、オープン日が迫っているのにシェフが決まらなかった。というよりも、初めから決めるつもりがなかったんだろうね(笑)」

「過去の栄光を背負った人ではなく、建設的に物事を考えられる人が欲しい」という金谷氏の、術中にまんまとはまったというわけだ。

 当時のメニューは1人3万円ほどの金額設定。バブル景気前の1970年代の3万円は今よりずっと高額だ。

「オープンから3年くらいは暇で(笑)。親父はそれでも『とにかく我慢だ。その間に勉強しなさい』と言い続け、懐石料理を学ぶために、有名な高級老舗料亭などに研修に行くようにと僕にすすめてくれました。フランスに初めて行ったのも親父と一緒でした。その後も毎年、親父と一緒にフランスを訪れ、一流のグラスや器を見たり、三つ星、二つ星のレストランに足を運びました」

 このころ、フランス料理の世界に大きな変化が起きていた。いわゆるヌーベル・キュイジーヌだ。それまでの、こってりした味つけの伝統的フランス料理にかわり、食材の持つ自然な風味や質感、色を重視した、軽く繊細な新しいスタイルのフランス料理が台頭してきたのだ。現在、私たちが食べているフランス料理の源流ともいえる。

 金谷氏は「これからの時代」を見据え、フレンチと懐石料理の融合を考えていたと坂井さん。

「バターやクリームを多く使う王道フレンチは日本人には重すぎるし、量も多い。親父の提案でコウナゴの佃煮ペーストや、フォアグラの代わりに、アンコウの肝を使ったりしました」

 それでも、やはり客足は伸びない日々が続いたのだが、ある日のこと。「ユニークな料理を作っているシェフがいる」ということをどこかで聞きつけ、有名なレストラン専門誌の女性編集者が、取材を申し込んできた。

「その記事がきっかけで、テレビや雑誌でも店が紹介され、どんどんお客様が来るようになりました」

 オープンから3年半、静かだった店は、完全に軌道に乗り、以降、その人気は衰えることはなかった。