「関心のあることを深めてほしい」ご一家の教育方針
秋篠宮家の教育方針は、どのようなものだろうか。まず、男女分け隔てなく子どもを育てる姿勢が一貫している。悠仁さまが生まれた2006年に行われた記者会見で、秋篠宮さまは、「基本的には長女、次女と同じように接するつもりでおります」と、息子への教育姿勢について説明した。このとき、女性皇族の役割については、「私たち(男性皇族)と同じで社会の要請を受けてそれが良いものであれば、その務めを果たしていく。そういうことだと思うんですね。これにつきましては、私は女性皇族、男性皇族という違いはまったくないと思います」と、答えている。
また、別の記者会見で、秋篠宮さまは、子どもたちに対して、「きちんとした社会生活をできるようになってほしい」「皇族としての立場もおいおい自覚してもらいたい」「自分の関心のあることなどを深めていってくれれば良いと思う」との、教育方針を示したこともある。悠仁さまの筑波大学進学や、姉2人の国際基督教大学(ICU)入学も、自主的に本人たちが決めたらしい。
'11年3月、東日本大震災が起こった際、栃木県・那須御用邸の職員用温泉風呂を被災者たちに提供した。入浴のためのタオルの袋詰め作業に紀子さまと眞子さん、佳子さまが参加したことがある。秋篠宮さまは「何らかの形で支援活動に関われるといいね」と子どもたちに伝えており、眞子さんと佳子さまが学生ボランティアとして東北の被災地で活動したこともあった。
この年の10月、眞子さんの成年の記者会見が行われた。
「(略)昔は全般的によく怒る(略)導火線が少々短いところがあったと申しますか。でも、最近はめったなことではすぐには怒らなくなったと思っております」
と、眞子さんは父親について語っている。
しかし、この年、5歳となった悠仁さまをあまり叱らないものだから、2人の姉は、弟を指さして、「叱れ、叱れ」と、秋篠宮さまを促すこともあった。
上皇さまが退位。皇位継承順位第1位の「皇嗣」に

「次第に進む身体の衰えを考慮するとき、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」
2016年8月8日、上皇さま(当時、天皇陛下)は、「社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのようなあり方が望ましいか」についての考えをまとめ、前述したように国民に向けてのビデオメッセージ、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」として発表した。
当時、82歳の上皇さまは、数年前から高齢による体力面のさまざまな制約を覚えていて、終身天皇を前提とする制度の問題点にふれながら、生前退位の意向を示唆した。翌'17年6月、天皇の退位を実現する特例法が成立し、上皇さまは'19年4月30日に退位し、翌5月1日、新しい天皇陛下が即位した。
新時代「令和」がスタートしたのである。
上皇さまの生前退位が認められ、兄が天皇陛下となると、弟の秋篠宮さまは皇位継承順位が第1位の皇嗣となり、悠仁さまは第2位となった。こうした急展開は秋篠宮家にとって、とても大きな出来事だった。
なぜなら、皇位継承問題は、あくまで、長男である兄、天皇陛下の領域であって、次男の秋篠宮さまは、口を出すべきものでもなかったからである。こうした両親の厳格な教えのもと、秋篠宮さまは育っている。そして、弟としての強い自覚を持っている。一見、自由奔放そうに見えながらも秋篠宮さまは、自分の分限をわきまえ、次男としての分を頑ななまでに守り通して成長した。
女の子が続けて生まれたことで、秋篠宮さまの周囲で、「早く男の子を」という声が上がったことがある。しかし、それはあくまでも秋篠宮家の後継ぎとしての男子であり、将来、天皇を継承する、というような大それた話ではなかった。