認知症でも感情は色あせない
他の病気のように、薬を飲んで「治す」ということを目指さなくてもいいのでは、と稲葉さんは考える。例えば認知症の方を介護する際、意識しておきたいことがあるという。
「認知症が始まったお年寄りが急に怒りっぽくなったというご家族からの相談はよくあります。例えば、長い間入居している努さん(79歳)は、もともと穏やかな性格でしたが、だんだんと感情のコントロールが利かなくなりました。
他の人がおしゃべりしているのをじろりとにらんで、しきりに『子ども見ちゃってくれや』(子どもを見守っていてほしい)と怒るのです」
ある日、いつものように「子ども見ちゃってくれや」が始まった。
「僕は一度きちんと話を受け止めてみようと『子どもは見てますから心配ないですよ』と答えました。すると『ああ、そうけえ』と努さんはうなずいて、娘の尚子さんのことを話し始めました。その横顔は本当に優しそうで、本来の努さんの人間性を感じました」
後日、稲葉さんが尚子さんに話を聞くと、努さんの奥さんは子どもを置いて出かけてしまうような奔放な人で、努さんは我慢を重ねていたそう。
「ずっと我慢してきた感情が、認知症をきっかけにあふれ出したのでしょう。お伝えしたいのは、こういうときの怒りには実は背景があるということ。認知症になって過去と現在があいまいになると、かつて体験したつらい思いが不意にぶり返すようです。感情は色あせないんですね」