医業停止処分の後、最新整形で別人に
戦略はズバリと当たった。患者は殺到し、瞬く間に年商は60億円に届いた。話題の人となった高須院長は、当時の人気テレビ番組『11PM』(日本テレビ系)の準レギュラーとして登場するようになり、“絶倫ドクター”というニックネームで、世間一般にも知られるようになる。
当時の風貌は、いかつい眼鏡にちょび髭、髪形はパンチパーマ。この風体で、「包茎は時代遅れです!」などと喧伝していたのだから、怪しいにもほどがある。そうそう、この時代の高須院長は顔そのものも違う。
「積極的にメディアに登場していたのには理由があって、美容整形でうまくいった人って、他人に漏らさないんです。整形を公にしないから口コミで広まらない。だから、僕が広告塔にならないといけないと思ったの」
破竹の勢いで業績を伸ばし、全国に「高須クリニック」をチェーン展開。経営拡大に乗り出した。しかし、他方からは「金儲けしか頭にない医師」と揶揄された。
「そんなことないですよ。だって僕は計算が苦手で適当。儲けられないんだから」
むちゃくちゃな言い分だが、実際、そのとおりなのだ。1990年に約9億円の脱税容疑で起訴された際、税金の申告書にあった署名欄のサイン(その当時の経理担当が署名したサイン)を見せられ、「これはあなたのですか?」と聞かれると、「いっぺんも見たことがありませんし、僕のサインはこんなサインではありません!」とばか正直に答えてしまった。
それでも申告書は責任者であるあなたに最終責任があると、そのまま監督不行き届きを理由に所得税法違反で起訴……人生劇場とはよく言ったもの。落語じゃないんだから。
「それからは、お金のことはシヅ先生に一任した。結局、罰金刑の2億円を支払うことになって、僕は金儲けには向いていないとわかった(笑)」
最高裁まで争ったが、1997年に有罪判決が下されると、厚生省(現・厚生労働省)から1年間の医業停止処分を受けた。
「僕は、2000年に国際美容外科学会の会長に就任することが決まっていたの。スピーチもしなきゃいけないから会場の度肝を抜いてやろうと思った。それで医業停止処分中に、あることを思いついた」
何をしたのか?
「シヅ先生に若返りプロジェクト責任者になってもらって、世界中の著名なドクターに自分の顔に美容整形手術を行ってもらったんだ。『20歳の若返り』と銘打ってさ。
フルフェイスリフトや上下まぶたのたるみ取りなんかのときは、当然、手術は局所麻酔で、途中で僕が『もう少し首と額の皮膚を引っ張り上げろ!』なんて指示を出すんだけどね。さらに、バッカルファット除去、ゴールデンリフトも」
パンチパーマのいかつい顔から一転して、優男風の顔にメタモルフォーゼすると、当時、有色人種には不可能といわれていた、肌の若返り手術「ハードケミカルピール」をシヅさんが施術した。ロジック的には「できるはず」。二人には信念があった。その信念とは、成功するという意味だけではない。シヅさんは当時、こう語っていたという。
「うまくいかなかったらいかなかったで、すごく財産になる。成功したら、高く評価されるのだからやりなさい。せっかくやるんだから、息子たちにも練習させなさい」
国際美容外科学会に院長が姿を現すと、場は大いに沸いた。「ミスター高須が別人になってるぞ!」「一体、何が!?」。新しい可能性を、新会長が自らの顔でもって、文字どおり切り開いた……いや、切開した瞬間だった。
「医師免許が使えなくなったって、できることはあるということ。逆に、停止したからこそ、やれたこともたくさんあった」
高須クリニックと聞くと、広告塔である院長の顔が即座に浮かぶだろう。しかし、シヅさんなくして、今日の高須クリニックはありえないのだ。












