47年間連れ添った伴侶との別れ
そのシヅさんに子宮がんが見つかったのは、それから1年後のことだった─。
「持って3年」と医師から宣告されたが、高須院長は「余命宣告は医師の自己保身にすぎない」と切り捨てた。自分の命は、自分で決める。最先端の治療をやれるだけ試みた。「死ぬときに病院なんて、まっぴら。家で死にたい」と言うシヅさんの希望を叶えるため、自宅を病院並みの設備に改造し、家で過ごせるようにした。主治医は、高須克弥その人である。
シヅさんは、よくこんなことを話していたという。
「がんは一番ラッキーな病気よ。すぐに死なないから。あと何年生きられるか、計算できるから」
《闘病なう》。そのマインドは、今に始まったことではない。がんとポジティブに向き合う高須院長を、「強がりでは?」と考える人もいるかもしれない。だが、人間はもっと想像力豊かな生き物だ。
精力的に毎日に意味を見いだし、病の身でありながら夫婦そろって旅行にも出かけた。韓国旅行では競馬で万馬券も当てた。3年どころか9年の月日が流れた後、47年間連れ添った妻は転移性肺がんによって、65年の生涯に幕を閉じた。
亡くなってから2か月後の2010年5月、週刊女性は高須院長に胸中を聞いている。「思い出の品はありますか?」という問いに対して、「思い出の品なんてないよ。家、全部がそうだし」と考えあぐねると、「そうだ、これだよ、これ!」と、院長はあるものを指さした。自身の顔である。
死を覚悟した2人にとって、病床での時間は濃密だった。
「充実していた。漫然と生きているのはよくないと思い知った」
そう語る院長に、尿路系がん細胞が見つかったのは2015年のこと。
精査の結果、腎臓と膀胱にまで転移していた。
その3年後、がんであることを自身のX(当時はTwitter)で公表。自らの身体を実験台に、さまざまな治療法を試す姿は、今なお大きな話題を呼ぶ。深く濃密な時間の中に、再び高須院長はいる。
「ものすごい立派ですよ。クオリティー・オブ・ライフをすべて無視して闘ってますから。普通であれば、つらくてしんどかったらもう闘わないで、痛みだけ取り除いてくれって終末医療に向かってもおかしくない。でも、この人はずっと闘ってる」
漫画家であり、院長と事実婚の関係にある西原理恵子さんは話す。
二人の出会いのきっかけは、西原さんが週刊誌のエッセイに、
《高須クリニックのCMのなんと下品なことか。でも好きだ。あなたのお友だちになってやってもいい》
と書いたことだった。その記事を読んだ高須院長は、西原さんにファンレターを送り、交流が始まる。当時は、互いに伴侶を持つ身だったが、家族ぐるみで親交を深める間柄に。本誌の取材で、過去に西原さんは高須夫妻をこう評している。
《院長は常に奥さまに口応えはしない。右を向けと言われたら、右を向く。シヅ先生は管制塔。院長は、管制塔が必要なタイプだから。そして、二人一緒に同じ方向に向かっていく、何かの野生動物を見ているよう。何度生まれ変わっても一緒になって、力を合わせて生きていくんだろうなって思いますね。理想の夫婦であり、憧れです》
憧れるにはわけがある。西原さんの夫であるカメラマンの鴨志田穣氏はアルコール依存症で、DV問題を抱えていた。修羅場を経て離婚するが、直後に鴨志田氏にがんが見つかる。二人三脚でシヅさんの闘病を支えていた高須院長は、西原さんにこんなアドバイスを送った。
「わずかな期間でもいいから一緒にいてあげたほうがいい」
その言葉を受け入れた西原さんは、元夫の最期を看取り、喪主まで務めた。シヅさんが他界すると、高須院長も独身に。二人の関係は、信頼できる友人から恋人へと変わり、その日常は『ダーリンは70歳』シリーズ(小学館)で描かれている。












