「ママホリ」を主催しプロデューサー業へ

「ママホリ」のフライヤー。豪華アーティストが出演した
「ママホリ」のフライヤー。豪華アーティストが出演した
【写真】1984年のデビュー直後の中村あゆみ、歌手になるつもりはなかったという

 シンガーとして実績を積み重ねてきた中村は、現在、音楽イベントのオーガナイザーとしても活動している。それがいまやライフワークとなった「ママホリ」だ。ママホリは名前のとおり現役のママであるアーティストたちが集う音楽祭で2021年に第1回が開催された。きっかけはコロナ禍だった。

「ライブは当然ストップし、子どもたちはどこにも遊びに行けず、ママは一日中、子どもの世話とごはんの支度に追われ、みんなピリピリとした雰囲気で過ごしていました。この重たい空気をなんとかしたくて、『家族のために頑張るママの休日(ホリデイ)』というコンセプトでコンサートを開催することにしたんです」

 実は1987年に発行された本のインタビューで中村はママホリを予言するようなことを話している。《30年後、あなたは何をしている?》という質問に《子供かかえて唄ってるよ、たぶん》と答えているのだ。出産後は引退も考えていた中村だが、ママとなって歌って届けるというイメージは10代のときからあったのだろう。

 ママホリでは中村が交流のあるママアーティストに声をかけ、NOKKO、hitomi、MINA&REINA(MAX)、相川七瀬、土屋アンナという豪華メンバーでの開催が実現した。出演者は中村自身がアプローチをする。もちろん事務所を通して正式に依頼するが、必ず自分の手紙を添えた。

歌手・中村あゆみ(撮影/山田智絵)
歌手・中村あゆみ(撮影/山田智絵)

「あなたが必要なんです、と私の熱い思いを伝え、素敵なアーティストの皆さんに賛同してもらえました」

 ママホリがきっかけで仲良くなった土屋アンナは、中村を“マザー・テレサのよう”とあがめる。

「あゆみさんは好き嫌いがはっきりしていて、私と似ているところがあるんです。面倒見がよくて、誰に対しても見返りを求めず行動する方で尊敬しかありません。いろんな人を紹介してくれたり、身体にいい食べ物をくださったり。愛情が深くて、明るくて、いつもパワーをもらうばかり。まだ何も返せていないので、いつかあゆみさんのために何かできるようになりたいです」

 ママホリはその後、2024年まで4回の開催が続いたが、裏方として全力投球してきた中村はイベント後、身体の異変に気づいた。

「髪の毛は多いほうなんですが、あるときバサバサと抜けちゃった時期があって。お金の計算とか、スタッフの手配とか、やったことのない業務がのしかかってきて、身体がびっくりしちゃったんだと思います」

 2025年は企画を練り直すため、1年間ライブがない期間ができた。

「それまでは太らないよう食べる量を制限していたんですが、この期間に方針を180度転換し、一生懸命食べて健康な身体をつくることにしました。大豆、亜鉛、タンパク質をとるように心がけて食事をしたら、抜け毛も止まったんです」

 こうして身体づくりも万全で、2026年の企画がスタートした。ママホリから『Super Lady Festival 2026 -Season5-』と名前を変え、ターゲット層も広げた。

「ママだけじゃなく、もっと枠を広げてお子さんがいない方にも一緒に楽しんでもらえるイベントにしました。キャッチフレーズは“愛と情熱と頑張る女性”。今回は一青窈さんなどにも参加いただけることになりました」

 中村の芸能界での交友関係は広く、坂本冬美、寺田恵子(SHOW-YA)、杏子(バービーボーイズ)、相田翔子、ダイアモンド☆ユカイなど音楽仲間から、芸人のはなわまで、ジャンルを問わず付き合いがある。みんなプライベートでは“普通”なのがいいという。

「おすすめのお店の情報交換をしたり、健康や美容の話で盛り上がったり。セレブ自慢みたいな人はいません。でもステージに上がるとガラリと変わるのが、みんなカッコいいですよね」

 プロレスラーの鈴木みのるも中村と親しいことで知られている。1995年、中村のファンだった鈴木が自分の入場曲を中村に依頼したのがきっかけだ。その曲『風になれ』は、世界的には『翼の折れたエンジェル』よりも知られている。鈴木が海外で活躍するにつれ、試合に登場すると「カッゼーニーナレー」と現地の観客から大合唱が起こるようになったのだ。

 2021年には、鈴木の試合後、各国のiTunes Store“J-Popトップソング”にランクインし、アメリカでは1位に。リリースから25年以上がたっても世界で歌われる名曲になった。

「鈴木みのる君が私の歌を世界に連れ出してくれました。最高です」