イメージが固定してしまったヒット後の苦悩の日々

1985年4月にリリースした3枚目のシングル『翼の折れたエンジェル』がCMに起用され大ヒットを記録する
1985年4月にリリースした3枚目のシングル『翼の折れたエンジェル』がCMに起用され大ヒットを記録する
【写真】1984年のデビュー直後の中村あゆみ、歌手になるつもりはなかったという

『翼の折れたエンジェル』の後もリリースを続け、人気が衰えることはなかった。テレビの歌番組に出演し、ライブも精力的に行っていたが、突然、芸能界に放り込まれた中村は、とうとうパンクしてしまう。

「歌手としてずっと続けていくという強い気持ちがないまま、どんどん仕事が入って、歌を届けるよりも、大きなビジネスに加わっている感じでつらくなってしまったんです」

 一般の会社員よりもはるかに高い給料をもらえたが、ほかの世界を知らず、ほかには行けない自分になっていくのも怖かった。

「下積みが少ないまま、いきなり大きなヒットに恵まれると、周りからもちやほやされて自分が偉くなったと勘違いしてしまう。でも勘違いしたままだと芸能界で生き残るのは難しく、業界を去っていく人もたくさん見てきました。

 生き残るには、強力な運、ソングライターとしての実力、もしくは飛び抜けて性格がいいといった要素が必要なんです。私自身、デビュー当時は相当勘違いをしていて、あのときもっと謙虚だったら、今見ている景色は違っていたんじゃないかと思います」

『翼の折れたエンジェル』ジャケット
『翼の折れたエンジェル』ジャケット

 シンガーとしての方向性にも迷いがあった。『翼の折れたエンジェル』以上のヒット曲、代表曲が欲しかったが、曲を依頼すると、従来の中村あゆみ像に沿ったものが上がってくる。そこをぶち破るためには自分で曲を作るしかなくなった。

「経験もないし、学んでもいないのに曲を作るなんて、その場その場でサイコロを振って生きているような感覚でした」

 最初はコードもわからない状態だったが、周りのミュージシャンに教えを乞いながら、一つひとつ学んでいき、作詞・作曲を続けた中村。このときの状況を石岡氏が振り返る。

「あゆみちゃんにはもともと兼ね備えているアーティストとしてのセンスがありました。移動中の車から見える景色を眺めて、歌詞やメロディーが浮かんでくる人です。日常のあらゆる瞬間が創作の場になっていて、集中力もすごかった。彼女ならアーティストとしてやっていけると確信しました」

 こうして自作曲を発表していくようになった中村だが、1994年、1回目の結婚をする。アメリカでのレコーディング中に、素敵な男性が現れ、夢中になったのだ。

「本当に大好きな人が現れたから結婚したのですが、今思えば、超多忙な生活から結婚に逃げた部分があったと思います。当時はまだ武道館で数日間ライブをやっていた時期だったので、絶対事務所に反対されると思っていたら、みんなが祝福してくれて。うれしかったですね。あの時代、ほかの事務所だったら結婚できなかったと思います」

 しかし結婚生活は3年で終止符を打ち、2度目の結婚は離婚の翌年の1998年。相手は16歳年上の実業家だった。娘も誕生したころから、音楽活動を休んで子育てに専念することに決めた。

「ちょうど人気にも陰りが出てきた時期で、音楽業界に戻るつもりはありませんでした」

 一般人として生きていこうと、夫の会社でスタッフとして働き始めた。ところが2度目の結婚生活にもほころびが出てきてしまう。夫とうまくいかなくなっても、なかなか離婚するふんぎりがつかず、用意した離婚届を何度も破いては、やり直す方法を模索していたという。

「夫と子どものためだけに生きようと、良妻賢母を目指し、本来の自分を押し殺していたんだと思います。でも娘が私が歌っているビデオを見て『ママ、カッコいい』って言ってくれたんです。そのとき再び歌手として生きる覚悟を決めました。家庭からステージへ。神様が『おまえの居場所はそこじゃない』と教えてくれたのでしょう」

 38歳で2度目の離婚をし、翌年の39歳の誕生日にニューアルバム『Yes』を発表。自身の経験をすべて歌に昇華させることで、第二の音楽人生をスタートさせた。

「今は、失敗も楽しかったことも良かったことも、苦しかったことも全部ひっくるめて愛しく、消したいページはありません。失敗や苦しかった経験は、今の仲間や場所へたどり着くために必要なプロセスだったんだと前向きに捉えられるようになりました」