4歳上の兄と比べてばかりの日々

 1968年、堀田は熊本県八代市に、2人兄弟の次男として生まれた。父は広告代理店に勤め、母はモデルとして活躍していた。彼自身、端正な顔立ちをしているが、「4歳年上の兄と比較されてばかり。兄は容姿端麗で勉強もできれば絵もうまく、足も速かった。僕は、落ち着きがないダメな弟として見られていたから、褒められた記憶がない。コンプレックスだらけの子ども時代です」と苦笑する。

「その影響でしょうね、僕は今でも褒められるとモヤモヤするんです。褒められるのが苦手。ただ、ダメだった自分を知っている人から褒められるのはうれしい。面倒くさい人間です」

 なぜそう思ってしまうのか気になったという堀田は、のちのエビデンス職人らしく「科学的根拠を調べた」という。すると、人間には過去のダメさを知ったうえで褒められると、うれしいと感じる傾向があることがわかった。

「自分のことをひねくれ者だと思っていたんですけど、根拠があるとわかって、少しだけ安心しました。エビデンスって、不安を取り除いてくれたり、何かを後押しする力になる。僕の本がウケているのも、そうした理由からだと思うんですね」

 褒められることは少なかったが、堀田は父親のことを尊敬のまなざしで見ていたという。

「GIVEの人でした。武士は食わねど高楊枝じゃないですが、損得勘定で動かない人。少なからず自分にも影響を与えていると思います」

 父の仕事の関係で埼玉県坂戸市に引っ越した堀田少年は、中学2年生のときにロックンロールにドはまりする。ラバーソールを履いて、髪はツンツンに逆立てた。不良ではないが、やんちゃ。「勉強もしないでギターばかり弾いてました」と懐かしそうに笑う。

 遠目から見ても目立つ堀田少年は、東京で某有名音楽プロダクションからスカウトされると、ますます音楽にのめり込むようになったという。

高校生のころ芸能プロダクションの養成所にも通っていた
高校生のころ芸能プロダクションの養成所にも通っていた
【写真】「アイドル並みのルックス!」高校1年生の頃の堀田さん

「当時は、音楽の世界で成功することしか考えていなかったです」

 毎週金曜夜7時、地元・坂戸からレッスン場のある東京まで通った。共にレッスンを受けていた仲間が次々とデビューが決まっていく中で2年半たっても、堀田にはその兆しが見えなかった。現実は甘くはなかった。

「僕よりもうまくてカッコいい人がたくさんいました。だけど、彼らでさえ売れない。一方、僕はデビューすらできていない。自分には才能がないんだなって気づきました」

 この時代、交流のあったタレントのひかる一平さんが振り返る。

「僕がアイドルだったときに、秀吾と出会ったのかな。とにかく音楽が大好きで、人懐っこい子でした(笑)。懐いてくれていたから、ずっと覚えていたんです」

 ずっと覚えていた─。夢破れて芸能活動とは縁が切れた堀田は、その後、ひかるさんとの交流がなくなる。ところが、

「彼から、『一平さん、本を出したんです。僕のこと覚えてますか?』と共通の友人を介して連絡があった。音楽の世界を目指していた子が、明治大学の教授になっていたと知ってビックリです(笑)。会うと昔のままで、人懐っこい秀吾のままでした」(ひかるさん)

 30年以上、時はたっていたが、あのころのようにすぐに打ち解けた。

「僕が事務所を立ち上げるときも、秀吾は手伝ってくれて。今ではすっかり持ちつ持たれつで、お互いに何かあれば助け合う関係。それにしてもあの秀吾が、大学の先生になるなんて夢にも思わなかったなぁ」(ひかるさん)