はるな愛が慕う藤原紀香さん
「どんな状況でも笑顔で、人に愛を届けることを決してやめない人」
はるなさんをそう表現するのは俳優・藤原紀香さん(54)。はるなさんからは「のり姉」と慕われる存在だ。
2人の出会いは約25年前、東京・三軒茶屋のスナック。知人に「面白い店がある」と誘われ、訪れたその店を、はるなさんが1人で切り盛りしていた。芸能界で活躍する夢を追いかけていたころだ。
「とても明るくて、その場の空気を一瞬で温かくする愛らしい方でした。男の子として生まれたと聞いたけれど、私は最初から彼女を女の子としてしか見たことがないですね」(藤原さん、以下同)
はるなさんは生活に余裕がない中で、小さな店で生計を立て、努力を続けていた。
「心にさまざまな葛藤や痛みを抱えていたはずなのに、いつも笑顔でお客様一人ひとりを精いっぱい楽しませていました。私も上京して心が折れそうな日もあったけれど、彼女のお店に行くと自然と元気になれました♪」
親交が深まると旅行に行き、温泉にも一緒に入る仲に。
藤原さんは、はるなさんの半生が映画になると知り、「何でも言って。私でよければお手伝いさせてね」と声をかけた。当初は彼女に冷たく当たる役が用意されたが、「どんな些細なお役でもいいから“応援する”役がいい」と切望。アイの才能を見いだすプロデューサー役で愛情出演。完成した作品を見て、彼女のこれまでの歩みが胸に迫り、涙があふれてきたと話す。
「愛が“自分らしく輝く夢”を諦めずに、全身全霊で努力を重ね、一歩ずつ歩んできた時間が凝縮されていた。この映画はきっと、世界中で葛藤と向き合いながら一歩を踏み出そうとしている人の背中を、そっと照らす“光”になると思いました」
北島三郎より、アイドルになりたい!
「自分は女の子だ」
はるなさんのその感覚は、幼いころから揺るがなかった。1972年7月、大阪に生まれ、愛媛出身の両親と年子の弟、親戚が集まるにぎやかな市営住宅で育つ。テレビの向こうで輝くピンク・レディーに心を奪われ、幼稚園では振り付けをまねして歌い踊り、いつか自分もステージに立ちたいと夢見た。
きらびやかな世界へ誘ったもう1人の存在が、父の姉でストリッパーだった伯母だ。3歳の少年が出入りした楽屋は、スパンコールや羽根飾りがあふれる“非日常の宝箱”。
「きれいなドレスのダンサーたちが、生まれたままの姿で楽屋に帰ってくるんですよ」
幼い目には刺激的な光景も、ただ眩しく心が躍った。伯母は髪を可愛く整え、赤い服や着せ替え人形を買い与えてくれた。家に戻れば、少年野球の監督だった父に「男らしくしろ!」と言われたが、伯母の家では“ありのままの自分”でいられた。
別の伯母が営むカラオケスナックも憩いの場だった。演歌を歌うと「賢治くん、うまいね」と褒められた。夢は女性アイドルだったが、歌を称賛されるのがうれしかった。
一方で家庭は安定せず、父はギャンブルで借金を抱え、取り立てが来ることも。
「ガスが止まって、ろうそくを灯す夜もあって。子どもながらに大変なんやろなって。でも家族を不安にさせたくなくて『誕生日みたいやね♪』って、笑ってたんです……」
はるなさんは、家族の話に触れると、涙を浮かべて言葉を詰まらせた。
両親は、はるなさんが北島三郎さんのような演歌歌手になることを切望し、苦しい生活の中でもプロの先生のもとへ通わせた。小学3年生からNHKの番組『こどものど自慢』にも出演している。
きらめく舞台と、決して裕福とはいえない家庭。その両極を行き来する中で、「はるな愛」という存在の原点が少しずつ形づくられていった。


















