窮地の“エアあやや”誕生秘話!
そんなある日、突然、声が出なくなった。芸能の仕事も店の接客も成り立たない。気づけば、逃げ場を失っていた。
「生きていくために何かしなきゃと悩んでいたとき、店で松浦亜弥さんのライブ映像を口パクでまねして、“エアあやや”が生まれたんです!」
声を使わない斬新なダンスは芸能関係者の目に留まり、評判が広まる。藤原さんの披露宴では会場を笑いで包み、その存在感を強く印象づけた。
同じころ、仲間に背中を押され、世界最大級のトランスジェンダー女性の美の祭典「ミスインターナショナルクイーン」に挑戦。タイ・パタヤで不安を抱えつつも舞台に立ち4位に。
「優勝したら1年休むかも!なんて言ってたから、順位を報告するのが気まずくて。でも、マネージャーに電話したら、“この間、出演した『あらびき団』の反響がすごいから、今すぐ帰ってきて!”と言われて。ほんま~!?って」
それ以降、特番続きで怒濤の日々。3日で1時間しか眠れない日もあった。
そして2009年、ミスインターナショナルクイーンで優勝。ついに“世界一”の称号を手にする。祝福の中で大粒の涙が頬を伝った。父に「1番取ったで!」と電話すると、「おめでとう。よかったな」と短く返ってきた。
「お父さんらしいなと。カミングアウトした日に『1番取れ』って言われたから、挑戦したんです。これがお父さんの望んだ1番かはわからないけど(笑)、とにかく1番取ったよって言いたかった」
パラリンピック、子ども食堂、被災地支援に奔走
「LGBTQに限らず、誰もこぼれ落ちない社会であってほしい」
はるなさんは今も、そんな強い思いを抱き続ける。
約10年前、弟が脳梗塞で倒れ、車椅子生活になった。支え合ってきた存在が障がい者となり、社会の不自由さを当事者の目線で痛感したという。
「弟にはいっぱい助けてもらったし、大好きなんですよ。私が仕事柄いろんな場所に行かせてもらっている分、弟にもたくさん景色を見せたくて連れて出るようになって、気づくことが多かったんです」
男女トイレは多いのに車椅子用は1つだけ。筋力が衰えトイレが近い弟には、あまりに不便だった。そんな経験から「障がいのある人への理解を広げたい」という願いが確かな形を帯びていく。
契機になったのが東京2020パラリンピック開会式。自らオーディションを受け、笑顔とエネルギーに満ちたダンスリーダーとして出演した。
「振り付けを視覚障害のある人には言葉で、聴覚障害のある人には動きで伝えていきました。さまざまな背景の仲間が同じ目標に向かう姿に励まされましたね」
被災地支援も熱心に続ける活動のひとつだ。はるなさんは東京で3店舗の飲食店を経営。20年来の仲間である後藤隆志さん(49)はこう語る。
「東日本大震災のとき、スタッフに福島出身の子がいて、お父さんを亡くして家も流されたんです。社長(はるなさん)がすぐ行こうと、救援物資を積んで向かいました」
避難所では温かい豚汁やお好み焼きを振る舞い、ブースを回ってお年寄りと話し込んでいたという。その後も広島市の土砂災害、熊本地震、能登半島地震へと足を運んだ。
「行くと決めたら、役所に連絡して受け入れ先を確認し、2トントラックをレンタルして、物資でパンパンにして。半分くらい積んでたら“いっぱいじゃないとダメだ”って。全部自分で段取りします。行動力がすごいんですよ」
さらに、三軒茶屋の創作中華料理店、八幡山の鉄板焼き店の2店舗で月1回、地域の子どもたちに無料で食事と居場所を提供する“子ども食堂”を続けている。はるなさんは言う。
「最初はスタッフから『お給料出るんですか?』とか後ろ向きな意見も出たけど、養護施設の子どもたちからお礼の手紙をもらって、みんなで読んで感動して。『毎月やりましょう!』と言ってもらえた。ボランティアは無理したらダメなんです。自分のできることをやっているだけです」


















