一世一代の性別適合手術の後に、大失恋

「苦しんでいた当時の大西賢治に伝えたい。絶対死んだらあかん! たくさんの人たちに生かしてもらえる日がくるよ〟って!」と笑顔を見せるはるなさん(撮影/矢島泰輔)
「苦しんでいた当時の大西賢治に伝えたい。絶対死んだらあかん! たくさんの人たちに生かしてもらえる日がくるよ〟って!」と笑顔を見せるはるなさん(撮影/矢島泰輔)
【写真】NHK『こどものど自慢』で五木ひろしさんの歌を熱唱したはるな愛

 19歳のとき。大恋愛の末に性別適合手術を受けた。相手は同じ舞台で踊っていたダンサーのTさん。遊び人だったが、交際後は一途で、大切にされた。同棲も始め、愛される幸せを噛み締めたという。

 週4回のホルモン注射を続け、胸元や身体つきも女性らしく変化していた。15歳で睾丸摘出は済ませていたが、男性器は残ったまま。Tさんとの関係が深まるほど、「もっと本物の女性に近づいて、女として堂々と生きたい」という思いを強めていく。

 だが当時、日本で性別適合手術を受ける道は閉ざされていた。そんな中、「冗談酒場」の常連客だった形成外科医・和田耕司さんに出会う。「先生にお願いしたい」と思えたとき、恐怖より安心感が勝った。和田医師は当初、リスクの高い手術を断ったが、何度も頼みに来るはるなさんの強い思いに応え、“第1号”として執刀。除睾手術から4年後、陰茎を切除し、それを用いて外陰部や膣を形成する独自の手術が行われた。

「長い間私を苦しませてきた男性自身が姿を消し、女になれた喜びが込み上げました」

 その後、はるなさんに続き、600人以上が手術を受け、日本の性別適合手術の道が開かれていく。

 しかし理想の身体を手にした一方、4年続いた交際に終わりが訪れる。初めて訪ねたTさんの実家で、Tさんのいない隙に家族から「愛さんは子どもが産めない。うちの子のために別れてほしい」と告げられたのだ。帰りの車内、Tさんの好きなB'zの曲『ALONE』が流れる中、ぐっと涙をこらえた。

「田舎では、私の存在が認められなくて。彼にも親を嫌いになってほしくなかったから、寝たふりするしかなくて。浮気も見ちゃってたし、やっぱり女の子のとこに行くんだ、アキさんの言うとおりやなって」

芸能界を目指し、スナック経営

「下積み時代は、芸能関係者が集まるパーティーに出かけるときだけ、ブランドの服や小物で着飾って。家ではジャージ姿でカップラーメンをすする……そんな生活。チャンスをつかみたくて必死でしたね」と語るはるなさん(撮影/矢島泰輔)
「下積み時代は、芸能関係者が集まるパーティーに出かけるときだけ、ブランドの服や小物で着飾って。家ではジャージ姿でカップラーメンをすする……そんな生活。チャンスをつかみたくて必死でしたね」と語るはるなさん(撮影/矢島泰輔)

 '90年代、ニューハーフブームが起こり、はるなさんのテレビ出演も増えていく。番組で親しくなった故・飯島愛さんに「事務所を紹介するよ」と声をかけられ、過去の大西賢治を知る人のほとんどいない東京で、女として生きようと決意。24歳で上京する。

 しかし現実は甘くなかった。回ってくるのはニューハーフ枠の“色物扱い”ばかり。

「深夜番組では水着で盛り上げて、『あの子、実は男の子なんだって』みたいな。私は純粋なアイドルにはなれないのかなって思ってました」

 わずかな芸能活動では生計が立てられず、三軒茶屋に7席の小さなスナックを開いた。やりたかったのは“普通の女の子の店”。しかし客足は伸びず、理想とのギャップに苦しむ日々が続く。

 追い詰められた末、思い切って素の自分をさらけ出し、歌い踊るパフォーマンスを始めると空気は一変。「面白い!」と店が活気づいた。

「避けてきたニューハーフの自分を受け入れた瞬間、道が開けた。認めたくなかった部分こそ、いちばんの個性で、私にしかできない表現なんだと気づいたんです」

 その店には藤原紀香さんのほか、夢を追う同業の若手が自然と集った。お笑いトリオ・森三中の大島美幸さん(46)もその1人だ。深夜ラジオで知り合い、店に遊びに行くようになったという。

「ニューハーフの方と話すのも初めてで、手術の話も明るくネタのように聞かせてくれて、毎回爆笑してましたね。もう売れる気配しかなかった。お金がなくてバイトに追われて、気持ちも荒れがちな時期だったけど、愛さんは人の悪口を絶対言わない。いつも優しかったです。

 星田(英利)さんにも、よくお店に連れて行ってもらって、実際に愛さんとのやりとりを見てたんです」(大島さん)

 映画『This is I』に常連客役で登場する俳優・星田英利さん(54・旧芸名ほっしゃん。)は当時、本気ではるなさんを女性だと思い込み、結婚を前提に告白したそう。

 はるなさんが笑顔で語る。

「ちょっと待って!って。壁の“火元責任者:大西賢治”を指して、これ私なのよと説明したら、後ろに倒れるくらい驚いてました(笑)」

 星田さんが「もう大阪帰ろかな……」と弱音を吐いたときは活を入れたこともある。

「なんで? 東京来たんは売れるためやろ。うちも頑張るから、あんたも頑張り!」

 星田さんは奮起し、のちに『R―1ぐらんぷり(当時)』で優勝。森三中もブレイクしていく。仲間の活躍を喜びながらも、オーディションに落ち続ける現実に、「私はこのまま小さなスナックのママで終わるのか」と胸が締めつけられた。