ただただ突き動かされるように身体を動かし、前に出た。「人生に負荷をかけなくては」、そんなことを考えていた。目の前のご縁から逃げずにボランティアに打ち込んだ。麻田さんの今の姿の原点は「このとき生まれた」という。
自分が勝手に枠をつくっていただけだった
今までできないと避けていたことにもチャレンジしてみた。当時の仮設住宅は湿気が多く、それによって困っているという声を聞くと、ボランティアで知り合った人の紹介で除湿機の提供を大手家電メーカーに直談判したのだ。
不慣れな交渉をしたものの結果は撃沈。思うような展開にはならなかった。
「でも不思議と、それを恥ずかしいとは思わなかった。うまくいかないならもうやめよう、ともならず、やれることはとにかくやってみたいと思っていました」
地震の日から走り続け、無我夢中で復興への希望を目指す中、復興ボランティアを通して多くの人に出会う。ボランティアの中には、少しこちらが身構えてしまうような風貌の人もいた。
「今までの私の人生では出会ったことのない人たちでした。でも彼らこそ被災したタイミングで何をすれば皆に笑顔が戻ってくるか、わかっている人たちでした。テントを立てる、ゴミ拾いをするなど細かなことにも労を惜しまず、すぐ手を貸してくれる」
自分の中に抱いていた偏見を恥じた。
「今まで頭に描いてきたものは想像に過ぎず、自分が勝手に枠をつくっていただけだと思い知りました」
消しゴムはんこに出合ったのは、'07年に自身が主催する復興イベントの一環だった。フリーマーケットで消しゴムはんこを使ったエコバッグを作るワークショップを行うことになり、麻田さんが消しゴムはんこ担当になったことがきっかけだった。
その後も消しゴムはんこの活動は行っていたが、あくまで趣味の範囲で出店やワークショップをやる程度だった。しかし、'11年の東日本大震災のボランティアで訪問した東北の仮設住宅の集会所で、被災者にリクエストされた消しゴムはんこを作っていたときに転機が訪れる。
「私は早く彫るため作業に集中し、目の前の方は自分のオーダーの消しゴムはんこの制作過程をじっと見つめている。視線を外しながら気張らず会話を重ねているうちに、周りの方も聞いたことのない当時の避難の様子を話してくださいました。
それまでは消しゴムはんこを完成させることが目的でしたが、作る過程のコミュニケーションこそ本質ではないかと思うようになりました。それならば僧侶としての活動に消しゴムはんこ作りを取り入れたら素敵なことになるのではないかと感じました」

















