コミュニケーションで人は変わる

「おーい、早く店を開けろ! バスが来ちまうだろ!」

 ある日、店のシャッターを叩く音で目が覚めた。

「寝坊した! 急げ!」

 カフェ・バッハの目の前のバス停を始発のバスが通るのは午前6時15分。日雇いの現場に向かう前、労働者たちがコーヒーで目を覚まし、トーストとゆでタマゴで軽く腹を満たす。朝食といえば以前は丼物が必須だったが、'64年の東京オリンピック後は現場に重機が入り始め、軽いものを好む労働者も増えていた。

 開店が午前6時を過ぎると始発のバスに間に合わないため、シャッターを叩いて起こされたこともあった。

「新婚のときも、朝5時半から夜11時まで働きました。オープンしてすぐコーヒーを出せるように準備して、午前10時前までは洗い物をする暇もないほどでした」(護)

オープン当時は食器洗いが追いつかず7ダースのカップを用意
【写真】カフェ・バッハの歴史、文子さんのグランドハープ

 店内は屈強な男たちですし詰め状態。小柄な文子がカウンター、背の高い護がホールを担当し、男たちに「ちょっと通るよ」と声をかけてコーヒーを運んだ。店内に客は入りきらず、自転車の荷台がテーブルがわりになった。

「東京タワー作ったんだよ」

「あのビル、俺が資材を上まで運んだんだ」

 客の男たちは自慢げにそう教えてくれた。ふたりは東京の町を作る人たちの朝食を提供していることになる。「今日も元気に安全に仕事をしてほしい」という気持ちを込めてコーヒーを淹れた。

 一方で、「酔っ払い禁止」のルールは徹底して守り抜いた。店の入り口も工夫した。酩酊して足がふらついていると、入り口の段差につまずきドアにぶつかり「ドン」、ドアの開け方を間違い「ドン」と音がする。「ドンドン」が撃退の合図だ。入り口に飛んでいき、「酔っ払いはダメ」と繰り返し丁寧に伝えた。

 当初はタバコを床に捨てる客も多かった。そのたびに吸い殻を拾い、灰皿を差し出す。トイレは常にピカピカに掃除する。客は少しずつ店内を綺麗に使い、お互いに心地よく過ごせるようになっていった。

 仕事帰りの常連は、自ら腰につけた工具をはずして床に置き、「俺、ハゲてんだけどな」と笑って頭の手ぬぐいをはずすようになった。店の前でガラス越しに自分の服をつまんで何かジェスチャーをする。店を通り過ぎ、シャワーを浴びてから出直してくる客もいた。

「コミュニケーションで人は変わる。お客様と店員だって、お互いが協力し合って居心地のいい場所を作ることができる。そのためには美味しいものを出します。できることを精いっぱいやります。お互いに支え合う関係を作っていきたい。それが今のバッハを支える精神です」(文子)

「ママさん(文子)には本当に感謝しています。筋金入りの働き者で、どんなときも前向きに仕事をする。結婚したのか、仕事の相棒なのかわからないくらい(笑)。彼女のおかげで私も頑張れたのは間違いありません」(護)