大きな転機、グランドハープとの出会い

 結婚した年にお互いの父親を亡くし、店の設備を整えるための資金援助や借金さえ難しい状況だった。

「最初の数年はふたりでなんとか頑張るしかなかったんです。目が覚めたら寝るまで仕事。寝る時間もわずかでフラフラだった。1日中コーヒーを淹れては洗い物。このまま仕事だけしていては心がやせてしまうと思っていたとき、音楽教師をしていた兄貴がアイリッシュハープをプレゼントしてくれました。ママさんはハープ、私は以前からやってみたかったフルートを始めました」(護)

 朝と夜は息をつく暇もないが、店が落ち着く日中は少し休憩を入れられるようになり、ふたりで音楽を楽しむようになった。店の改装のための資金も少し貯まったころ、またひとつ出会いがあった。

「オーケストラで使われるグランドハープが手に入る機会があって、貯めていた店の改築資金でなんとか買える。ご近所さんが、改築の保証人は引き受けるから買いなさいと背中を押してくれた。それは大きな転機でした」(護)

 1974年当時、352万円。店を始めたばかりの若い夫婦にとって身にあまる贅沢だ。

 親戚には「楽器を預かっている」と嘘をついた。

「昼休み、2階で47本の弦を1本ずつ調弦しました。静かに心を落ち着けて、ピンポイントで音を合わせていく。喧騒の中で働く私たちにとって大切な時間でした。コーヒー焙煎の煎りどめのタイミングと調弦は、深いところでつながっています。以来、調弦と同じ気持ちで焙煎をするようになりました」(文子)

'80年、「原住民音楽会」の様子。中央が文子のグランドハープ
【写真】カフェ・バッハの歴史、文子さんのグランドハープ

 カフェ・バッハでは、1975年以来、年に1、2回、地元のクラシック音楽愛好家と店内コンサートを開くようになった。「地域の人たちと一緒に楽しめる音楽会を」と、「原住民音楽会」と名づけて始めたものだ。音楽が人をつなぎ、有名なプロの奏者を招いたこともある。

 さらに5年後、ふたりは45日間、店を閉め、旅に出た。クラシック音楽文化の源流を巡り、本場のカフェを見るためだ。ベルリンの壁が存在した東ドイツでバッハの墓参りをし、西ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、チェコスロバキアを回った。

「大きな都市、田舎、さまざまなカフェを巡りました。どんなに寂しい土地でもカフェには賑やかで温かい人たちが集っていた。銀座に移転しないかという話をいただき検討したこともあったけれど、都市の中心地にこだわらなくていいと再確認できました。歴史と芸術の奥深さ、そして長く続く文化を支える“よいもの”を伝承する必要性など学ぶことは多かった。仕事にかじりついているだけではわからなかったと思います」(護)