当時の一橋大学法学部は1学年140人で、うち女性は5人のみ。男子学生に囲まれ、司法試験という狭き門を目指す。肩身の狭い思いをすることはなかったのだろうか。
「女性はいらない」と言われる
「あまり感じなかったですね。それより司法修習終了後、就職の時のほうが明らかでした。ある程度予想してたことではあるけれど……」
司法試験に合格し、司法修習生として計2年間の研修に励んだ。その間、裁判官から弁護士に志望を変えている。
「判決を書くために裁判所の中で黙々と記録を読むのはあまり向いていない。人と関わりのある仕事のほうが自分には合っているのではないかと考えて」
弁護士になるための就職活動は厳しく、そこで男女の壁に突き当たる。
「女性はいらないと言われました。いらないと明確に言えていた時代でした」
面接で落とされるならまだしも、そもそも女性というだけで面接すら拒否されてしまう。一方、同期の男性陣は次々と就職先を決めていく。
「男性とはもう全然違う。なかなか就職先は決まりませんでした。故郷の九州で弁護士をしようかとも考えたけど、地方はもっと厳しかった。最終的に、同期の男性弁護士が先に就職を決めていた事務所に入ることになりました。事務所を拡大するので1人女性を雇ってもいいと言われ、やっと引っかかった感じです」
事務所の案件のほか、法律相談、国選弁護、そして弁護士会の活動にも力を入れた。弁護士会の会務で、法律相談センター設立や広報活動などに尽力。司法修習生の手助けも彼女の役割の一つで、
「女性弁護士として女性修習生の面倒を見る人間が必要だったのだと思います」
と振り返る。13年間の弁護士活動を経て、1996年に仲間6人と「日比谷見附法律事務所」を開設。
「弁護士というのは依頼者がいて初めて成り立つもの。頂いた仕事を一生懸命やる。それだけです」
と、不動産関連や倒産、破産管財と幅広い案件を担当してきた。事務所は来年、設立30周年を迎える。
2017年、女性初の東京弁護士会会長および日弁連副会長に就任。2006年に東京弁護士会の副会長を務めた経緯があり、そこでの実績が認められた形だ。
「当時は東京弁護士会の副会長に女性がなること自体すごく珍しかったころで、そろそろ女性が出ていかなければ、という空気がありました」