テストに受からなければ退学
「せっかくシカゴまで来たんだから不安にさいなまれるのはもったいないじゃないですか。といっても、1年後のテストに受からなければ退学になるので死に物狂いで勉強するしかない。
もし、どう勉強していいかわからないという人がいたら、自分が尊敬する、カッコいいと思える人のマネをしたらいい。日常の習慣から勉強方法までコピペする。これもペンシルベニア大学の研究で明らかになっていることです(笑)」
幸い、周りには自分よりも言語学に精通する留学生がたくさんいた。堀田は、彼らの行動をマネして自らにハッパをかけ続けた。コピペされた一人で、現在、豊田工業大学外国語研究室教授の原大介さんが証言する。
「顔合わせのとき、秀吾はベースボールシャツを着ていたのですが、悪い言い方をすれば、『ずいぶんチャラい留学生がいるな』と思いました(笑)。ところが話すと、なんとも愛嬌がある。彼は留学生の中で最年少だったから放っておけないところがありました」
ひかるさんのときもそうだが、長い付き合いのある旧友は、堀田に対して親しみを込めてファーストネームで呼ぶ。そのニュアンスは“秀吾”というよりも“シューゴ”。この呼称ひとつを取っても、堀田の人柄が表れている。
「秀吾は修士課程を飛ばしてシカゴに来たわけですから、客観的に見れば無謀ともいえる挑戦だったと思います。深夜の2時、3時に彼の部屋へ様子を見にいくと、一生懸命勉強していました」(原さん)
12人いた同級生は、厳しさのあまり6人が退学を余儀なくされた。アメリカのサバイバルレースは日本の比ではなかった。嫌でも机に向かわざるを得ない環境をつくり出すため、堀田は寮のベッドを破壊。勉強して疲れたら、そのまま机で寝るという生活にして自らを追い込んだ。
「シカゴのチャイナタウンに、『セブントレジャーズ』というレストランがありました。深夜に車を飛ばして、そこでラーメンを食べるのが数少ない僕たちの息抜きでした。お互いによく食らいついていたと思います」(原さん)
設けられた3つの大きなテストと論文審査をすべてクリアした堀田は、1999年、シカゴ大学言語学部博士課程を修了した。言語学の世界における最難関の一つであるシカゴ大学で、学士から修士を飛ばして博士をつかみ取った。堀田が優しい口調で語る。
「自分の限界を勝手に設定しないほうがいいと思うんですね。僕は博士になろうなんて考えてもいなかったわけですから」
かつての夢はロックミュージシャンだった。
「いろいろな出会いや環境によって想像もしていなかった道がひらかれる。そうした可能性があるかもしれないのだから、自分の限界を決めつけるのはもったいない」


















